みっつめのはなし/竜の皇子 03

 ルーノたちが店の中に入ると、甘い香りがいっそう強くなりました。店の中には誰もいません。ショーケースの中に、おいしそうなケーキやクッキーなどが並んでいます。
「お客さんかい?」
 店の奥で白くて長いものが動きました。それはこの店の店長、クリムさんの帽子なのでした。
 クリム店長は、泣いている赤ちゃんに気がつくと、何本もある手の1本で小さなケーキをつまみあげました。
「ここのケーキを食べればどんなに泣いている子だってすぐに泣きやんじゃうよ」
 そう言って店長は赤ちゃんの口の中にケーキをひとかけ入れてあげました。するとさっきまで泣いていた赤ちゃんがぴたりと泣きやんだのです。
「さあみんな。そのぬれた体をあたためないとな。このクリム店長がスウィーザ特製ホットチョコレートミルクをつくってあげよう」
 店の奥へ戻ろうとした店長をルーノ・ニーフが呼び止めました。
「テンチョー!ボクたち追われてるんだ。どこかにかくれさせて」
「ははーん。何かいたずらでもして逃げてきたな?」
「そうじゃないんです。この子が狙われているの」
 ミェニョンのどろだらけの姿を見て、うそではないことがクリム店長にはわかりました。
「中へお入り。元気の出るパイを焼いてあげよう」
 厨房のすみのテーブルへルーノたちを案内すると、クリム店長はすごい勢いで手を動かし始めました。そしてあっというまにパイが完成しました。そのパイはミェニョンの疲れも一瞬で吹きとんでしまうくらい、とてもとてもおいしいものでした。
「あっ」
 ルーノ・ニーフが突然大声を出したので、ルシェはひっくり返りそうになりました。
「ボクお金持ってないよ」
「オイラもモル」
「ボボボボボクも」
「私のケーキでみんなが笑顔になってくれればそれでいいよ」
 クリム店長はやさしく言いました。
「嵐がおさまるまでここにかくれているといい」
「でもやっぱり長老の所へ行かなくちゃ」
 ルーノ・ニーフは残りのパイを全部口の中におしこみました。
「そうだね」
 モッちゃんも急いでパイを食べていすから降りました。
 その時、店の扉の鐘がカランと鳴りました。
「いらっしゃいませ」
 クリム店長は厨房を離れて売り場へ向かいました。
「この嵐の中、ケーキを買いにくる人がいると思う?」
 ルーノはいやな予感がしました。
「よっぽど甘いものが好きな人モル」
 モッちゃんの話し声も小さいので、モッちゃんもやっぱりいやな予感がしているのだと思いました。
 すると店の方から声がきこえました。
「ここに女の子が入ってこなかったか?」
 あいつだ!あの黒い服の男の声です。
「いいえ見ませんでしたよ」
 クリム店長はとぼけています。
「くそう。甘い匂いのせいで鼻が効かん」
 黒い服の男がつぶやきました。男は店に並んでいるクッキーをひとつ口に入れると、
「ここにオレが来たことは誰にも言うな。これはクッキー代だ」
 男は硬貨を一枚投げてよこしました。それには竜の絵が描かれていました。
「これは見たことがないな。どこの通貨だろう。お客さん…」
 店長が呼びかけましたが、男は店を出ていってしまいました。
 しばらくして、店長が店の奥へ声をかけました。
「もう大丈夫だよ」
「ありがとう」
 厨房から出てきたルーノが言いました。
「早く長老の所へ行かなくちゃ」
「ルーノくん。これを持っていきなさい」
 店長が差し出したのは、色とりどりのあめでした。
「テンチョーボクのこと知ってるの?」
「ああ。まっくら谷が明るくなってしまったのを救ったのは君だそうじゃないか。コロリンさんや谷の人から聞いたよ。それからあのナユタ湖をあんなにすばらしい場所にしてくれたこともね」
 店長はルーノにあめ玉をにぎらせました。ルーノはとてもうれしくなりました。
「今度はちゃんとお金持ってくるね」
 ルーノが言うと、クリム店長はにっこりとほほえみました。
「困ったらそのあめをなめなさい。君たちを助けてくれるはずだよ」
「本当?」
 ルーノはあめ玉をみつめました。キレイな色のあめ玉でした。店長は続けます。
「ただし最後までなめきること。いいかい?」
「うん。どうもありがとう」
 ルーノ・ニーフたちは再び嵐の中へとびだしました。雨も風もどんどん強くなっていく中を、ルーノたちは進んでいきました。さっきのケーキのおかげか、赤ちゃんはすやすやと眠っています。
 すると突然、遠くの方で何かが吠えるような大きな声がしました。背すじが凍りつくような、おそろしい声でした。でもそれは、どこか悲しくて、泣いているようにも聞こえました。
「今のは何?」
 ミェニョンがききました。
「…ハチミツ山の怪物モル」
「こここここわこわこわいよおおお」
 ルシェはルーノ・ニーフのうしろにかくれました。
「大丈夫さ。それに長老の家はすぐそこだ」
 ルーノ・ニーフが指さす先に、長老の家が見えました。その時、ルシェが声をあげました。
「ああああいつが…近くにいるよ!」
「何だって!?」
 ルーノ・ニーフはあたりをみまわしました。聞こえるのは雨と風の音だけです。ルーノたちは家のかげにかくれました。
 すると目の前の道を黒いものがよこぎりました。赤ちゃんを狙っているやつです。大きな鼻をひくひくさせて匂いをかいでいるようです。
「どどどどうしよう?」
 ルシェは泣きそうです。
「そうだ!これ!」
 ルーノ・ニーフはさっきクリム店長からもらったあめ玉を出しました。
「困った時にこれをなめろって…」
「でもなめたらどうなるモル?」
「きっとボクたちを助けてくれることが起こるんだ」
「ボボクこわいよお」
「わたしがなめるわ」
 そう言ってルーノの手からあめ玉をひとつつまみあげると、ミェニョンは自分の口の中に入れました。
「あまくてとてもおいしい」
 ルーノたちはそんなミェニョンの様子をドキドキしながら見ていました。でも、しばらく待ってみましたが、何も変わったことは起こりません。
「何も起きないモル」
 モッちゃんが言ったとたん、ミェニョンの体が急に小さくなりました。そしてそこにはもうミェニョンの姿はありませんでした。かわりにそこにいたのは、一羽のうさぎでした。
「ううっうっうっうさぎに…なっちゃったモル?」
「これは…なめると変身しちゃうあめだったんだ!」
 びっくりするルーノのあしもとで、うさぎはぴょんぴょんととびはねています。そしてルーノの手からもうひとつあめ玉をつかんで、こんどはそれを赤ちゃんの口に入れたのです。赤ちゃんはおいしそうにあめをなめました。すると赤ちゃんの体もちぢんでいって、1匹のちいさなトカゲになってしまいました。
 するとその時です。ルーノ・ニーフたちの目の前に黒い影が現れました。
「この辺だ。この近くにいるぞ」
 赤ちゃんを狙っているやつです。
「おい。赤ちゃんを抱いた女の子を見なかったか?」
 男はルーノに聞いてきました。
「しっ知らないよ」
 ルーノは答えました。
「こんな嵐の中で何をしている?」
 男はじーっと帽子の奥にかくれている目でルーノの顔を見てきます。ルーノは男から逃げ出したいのを必死でこらえました。
 するとモッちゃんが言いました。
「オイラ知ってるモル」
「えっ!」
 ルーノはおどろきました。
「あっちの方に行ったモル」
 そう言って、モッちゃんは長老の家と反対のほうを指さしました。モッちゃんはミェニョンをたすけるために、全然ちがう方角を男に教えたのでした。
「そうか…早く家に帰れよ」
 と言って男はモッちゃんの指さした方へ走っていきました。
 ルーノはほっとしました。
「びっくりさせないでよ。あいつのことが怖くなって赤ちゃんたちのことしゃべっちゃうんじゃないかと思った」
「ごめんモル。でもうまくいったモル」
 うさぎもうれしそうにとびはねています。ですが、ずっと殻の中に入っていたルシェが言いました。
「あああ…あいつ…まままだ近くにいるよ…」

 男は立ち止まっていました。
「おかしい。赤ん坊の匂いからどんどん遠ざかっている。それにあの子供…どこかで見た覚えがあるぞ」
 男はルーノ・ニーフの顔を思い出していました。雨と風が男に降り注ぎ、黒いコートをはためかせました。
「風…そうか!思い出したぞ。あの子供…フラルだ」
 そして男はもときた道をゆっくりと戻りはじめました。